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岩田榮吉の作品

 作品点描(11)
  音楽世界との関わり(その1)


1月27日。岩田の誕生日は愛聴していたモーツァルトと同月同日でした。岩田はそれを事のほか嬉しく思っていたのでしょう、機会あるごとに誰彼となく話しています。そしてヴィヴァルディ。岩田がパリで活動を始めたちょうどその頃、ヴィヴァルディがイ・ムジチ合奏団/ヴァイオリン独奏フェリックス・アーヨによる「四季」(1958〜59年録音)の大ヒットによって「復活」したのです。

アントニオ・ルーチェ・ヴィヴァルディ(1678年〜1741年)は、その作品10数曲を音楽の父J・S・バッハが編曲しているように、当時知られた存在であったものの、その後は1926年に多数の自筆譜が発見されるまで、いわば忘れられた作曲家でした。何かフェルメールを思い起こさせるようなこうした経緯とともに、様式を踏まえながら様々な想念を受容する寛容な音楽にモーツァルトにも通じるものを見つけて、岩田は驚いたはずです。

そして渡仏後間もない1957年12月、オランダ旅行に出た岩田は、念願のフェルメール《牛乳を注ぐ女》と対面したのですが、その翌日朝食の際に偶々ヴィヴァルディの音楽を耳にします。「しみじみ幸福と思う…」と日記(1957年12月30日付け)に記しています。

岩田の作品《ヴィヴァルディ礼讃》(1970年・画集No.25)はこうした背景で描かれています。北イタリアのクレモナでストラディヴァリやグァルネリなど現代に残るヴァイオリン名器が製作されたのは17世紀、さらに、楽譜の線が5本に落着いたのも、市民が家庭で音楽を楽しみはじめたオランダで楽譜の出版が盛んになったのも17世紀、ヴィヴァルディの時代でした。画中の楽譜は、ヴィヴァルディ33歳の1711年にアムステルダムで出版された最初の協奏曲集の中の1曲、作品3『調和の霊感』の第6番「ヴァイオリン協奏曲イ短調」です。そして、ヴェネチアのピエタ慈善院の音楽教師として活動を始め、その最盛期にはヨーロッパを広く旅した彼に因む野外用ランタンとろうそく立てのろうそくは、もう消されています。ヴィヴァルディの夜は明けたのです。


《ヴィヴァルディ礼賛》 1970年




ヴィヴァルディ作品3 『調和の霊感』 第6番「ヴァイオリン協奏曲イ短調」冒頭楽譜

この楽曲はヴァイオリンの教則本などでも取上げられ、その旋律は広く知られています。

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