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岩田榮吉の世界

岩田榮吉の作品

 作品点描(21)
  失われた時を求めて(その1 プルーストとの邂逅)


『失われた時を求めて』は、言うまでもなくマルセル・プルーストの著名な小説のタイトルです。岩田がこの小説をどの程度読んでいたか定かではありませんが、留学生仲間として親しい間柄であったフランス文学者・岩崎力(1931年~2015年、人物点描(3)1957年暮のオランダ旅行(その1 岩崎力氏の示唆) 参照)から、その芸術観などの核心部について、あるいは様々な挿話について話を聞き、関心を持っていたことは間違いありません。

岩田の作品《失はれし時を求めて》は、岩崎との出会いからほぼ15年を経て描かれました。宝石箱、楽器、地球儀、書物…隙間なくそれらのものに囲まれ、盛装してどこかへ出かけようかという人形が座っています。せわしない日常の暮らしの合間に、ふと物思う時が「失われた時」への入口です。

人は人生の大部分をどう過ごしているでしょうか。財産、才能、経験、知識などを羨み妬み、他人からどう見られているかに一喜一憂し、うわべだけの会話や恋愛を重ねてはいないでしょうか。体の底から湧き出てくる喜びや、心を揺るがす感動が足りない…と言っても、そういう日常の中に見つけにくいのは当然のことでしょう。足りないもの、それはいまではすっかり忘れていた過去の中や、芸術の中にしか見出せないものかもしれません。

プルーストの小説の冒頭、紅茶とマドレーヌの味と香りが、かつてそれらを味わった田舎町での記憶を蘇らせ、思いがけない大きな喜びに包まれるという有名なシーンがあります。そのような記憶は、思い出そうとしてたどり着く記憶でもなければ、記録や証拠によって明らかになるものでもありません。また、単なる回想でもなければ、甘美な思い出でもありません。自分が自分である核心に関わる記憶が、しかも日常において全く忘れていた記憶が蘇るからこそ、大きな喜びがあるのです。

それを絵画で再現していくことができたら…という願いを、岩田はこの作品《失はれし時を求めて》に込めていたのでしょうか。


《失はれし時を求めて》 1973年
《失はれし時を求めて》 1973年

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