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岩田榮吉の世界

岩田榮吉の作品

 作品点描(22)
  失われた時を求めて(その2 「レアリテ」の追求)


ちょっとしたきっかけで過去の情景と心情をありありと思い出すのは誰にもあることです。ああ、あのときの私こそが私なのだ…とわかると何だか嬉しくなりませんか?そうした場面は、身の回りの日常的なものの中にも、努めて想い起せる類の過去にもなく、ふとしたことから蘇る、自分の核心にかかわる記憶の中に現れるのです。プルーストはそれを文学で表現しようとします。

しかし、もともと心の奥底に眠っていたような記憶を、言葉で表現しようとするのは大変難しいことです。もちろんプルーストもそれを承知しているのですが、そこで期待しているのは音楽や絵画からの啓示です。そして大きな啓示を得た絵画の一つがフェルメールの作品(とりわけ《デルフトの眺望》(人物点描(5)~1957年暮のオランダ旅行(その3 マウリッツハイス~デルフト) 参照))だったのです。

岩田は、岩崎力からプルーストを教わって共感をもち、マウリッツハイス美術館で《デルフトの眺望》に感激して以来、プルーストが表現したかったものをストレートにあるいは細密に表現する絵画について考え続けてきたに違いありません。それはつまるところ、プルースト的な「レアリテ(真実)」をフェルメール的「レアリテ(細密表現)」で再現することですが、もちろん簡単なことではありません。加えて、岩田の時代のパリは「アンフォルメル」抽象絵画全盛期、画家として相当な覚悟を要することであったと思われます。

岩田の《アトリエ(自画像)》を見てみましょう。岩田はアトリエに居ながら絵を描くのでもなく窓を背に本を読んでいます。そこに入り込んでくる光、アトリエの空間と床の市松模様などはフェルメールを連想させます。岩田はいったい何の本を読んでいるのでしょうか。古いオランダ絵画の技法書かもしれませんが、まずプルースト以外にはあり得ません。ここには、プルースト的な「レアリテ(真実)」をフェルメール的「レアリテ(細密表現)」で再現することに立ち向かおうとする自身が描かれているのです。


《アトリエ(自画像)》 1970年

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