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岩田榮吉の作品

 人物点描(9)
  日本館時代~転機(その1)


1957年、28歳で渡仏した岩田は、パリ市南部14区の国際大学都市日本館でパリ生活をスタートさせましたが、当時の自室でのスナップ写真を見ると、背後に並んでいる絵は《モンマルトルの眺め》(画集№12、作品点描(30)~《パリの街角》 参照)に通じる風景ものばかりです。これを同じ留学生仲間であった渡邊守章(演出家・仏文学研究者、1933~)は、「彼の場合でも、パリという<都市>が、外国人に及ぼす妖しい幻惑力の虜となった時代があって、…今となっては珍しい岩田の風景画に結晶する」(『聖変化―あるいは岩田栄吉の世界』みづゑ1982年夏号)と振り返っています。


パリ国際大学都市日本館にて
パリ国際大学都市日本館にて


一方、留学生として岩田が学んだのは、フランス国立美術学校(エコール・デ・ボザール)のスーヴェルビー教室でした。ジャン・スーヴェルビー(1891~1981)はモーリス・ドニ(1870~1943)やキュビズムの系譜の画家で、シャイヨー宮の壁画で知られ、1948年から1962年までエコール・デ・ボザールの主任教授を務めており、岩田が通い始めた当時67歳でした。岩田とは時期がずれますが、同じくスーヴェルビー教室に学んだ画家の植田寛治(1934~)によれば、「先生は、アカデミーフランセーズの会員であるから少し物々しく、目の光の神経的な、嘘の入る余地のないお人柄」とのこと。実力もあり無私で熱心な先生ではあったものの、厳しい指導ぶりと外国人嫌いで煙たがられてもいたようです。

この先の制作の方向をどう見定めるべきか…日本館時代の岩田が思い悩んでいたことは想像に難くありません。

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