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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描(11)
  <パントル・ド・ラ・レアリテ>アンリ・カディウとの出会い


『63年頃にアンリ・カディウという人から手紙をもらって、それがきっかけで氏と知り合いになりました。その時から、パリ、そしてフランスにも私が願っていたような細密画をやろうという絵描きのグループがあることを知るようになったわけです。この人たちと交流を交わすうちに、彼らのものを教わることができました。また、そのような意味で、フランス人の絵描きとの付き合い、むろん日本人も含めてですが、この付き合いは随分大事ではないかと思っています。』

―『岩田榮吉画集』求龍堂 1995年7月 p.195の「岩田榮吉語録」より


『私が彼を発見したのは、彼のパリ滞在の初期のことであり、国立美術協会のサロンに彼が出品していたときだ。…私は彼の作品にあまりに烈しく打たれたので、ただちに彼に交際を求めた。…私たちはよく会った。彼には、…パリと地方、ならびに国外における「パントル・ド・ラ・レアリテ展」の催しにはすべて参加してもらった。』

― アンリ・カディウ『夢のドラマを求めて』渡辺守章訳
  『岩田榮吉画集』求龍堂 1995年7月所収


アンリ・カディウ(Henri Cadiou 1906~1989)は、当時モンパルナスに集まっていた画家たちコミュニティの中心的存在で、岩田に手紙を書いた頃は50歳代後半、<パントル・ド・ラ・レアリテ>というグループのリーダーでした。このグループは上の岩田の言にあるように、写実的な細密画を志向しており、中でもカディウは自他共に認める「ムッシュ・トロンプルイユ」でした。
岩田は33歳となった1962年、ソシエテ・ナシオナルの会員となり、例年招待出品をするようになります。おそらくその出品作がカディウの目にとまり、手紙を書かせたものと思われます。この出会いは岩田にとって、それまで模索してきたものの先に目指すべきものがあることを確信する、きわめて重要なものでした。

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