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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描(17)
  戦争がもたらしたもの


岩田が渡仏した1957年。フランスは戦勝国とはいいながら、「第四共和政」の末期にあって、激しいインフレ、植民地紛争、ソ連の圧力増大などから政情不安に陥っていました。戦場とされ分断支配されたナチスドイツへの加担・協力をめぐる国民間の様々な形での相互不信も、不安心理を増幅していたことでしょう。そしてまた、さらに根源的に、二度にわたって世界的な災禍を惹き起こした西欧文明への疑問を抱く人々が少なからず出たとしても不思議はないでしょう。岩田も日本にいたときとはまた別の形で、戦争がもたらしたものを感じたに違いありません。

終戦のとき岩田は16歳、自ら積極的に語ったり書き残したりしてはいませんが、戦時下で特筆すべき2つの事柄に関わっています。その一つは、1944年、海軍司令部が横浜日吉の慶応義塾校地に大地下壕を建造し移転するにあたり、学徒動員されて工事に従事したことです。もう一つは、1945年4月15日の「東京城南大空襲」で住居一帯が標的とされたことです。岩田一家は、その数ヶ月前に少しでも安全そうな内陸よりに転居したのですが、元の住いは焼夷弾直撃にさらされ、移転先の家もすぐ近くの池上本門寺がほぼ全焼するなど、紙一重の命拾いだったのです。

1958年、今日に続くフランス第五共和政がスタートし、ド・ゴールが大統領に就任。アルジェリアほかの植民地紛争の終結と通貨フランの大幅引下げなどを柱とする経済再建総合施策により立直りに転じ、他の欧米諸国とも歩調を合わせて高度成長期を迎えます。消費社会の到来とともに、戦争と人間を見つめなおすところからスタートしたはずの絵画・文学・演劇なども変質していきます。絵画の分野では、「アンフォルメル(抽象表現主義)の時代」でしたが、ただ絵の具を撒き散らし盛り上げるパフォーマンスだけが模倣され話題とされる風潮に、岩田は大きな違和感をもっていました。(人物点描(16)~加賀乙彦『頭医者留学記』に登場する画家「小岩」 参照)

そして…、戦時中もフランスに留まり一時は収容所入りまで経験した長谷川潔への私淑(人物点描(13)~長谷川潔との交流 参照)、西欧絵画の伝統を踏まえながら新しい表現を模索する画家仲間との出会い(人物点描(11)~<パントル・ド・ラ・レアリテ>アンリ・カディウとの出会い 参照)などを通じて、違和感は確信になっていったと思われます。

《自画像》 1946
《自画像》 1946年

終戦直後、岩田17歳のときの自画像です。

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