岩田榮吉の作品
作品点描
《ナルシス》(その1)
《ナルシス》(1955年・画集No.9)は岩田の芸大卒業制作作品です。東京藝術大学では、東京美術学校西洋画科時代の明治31年(1898年)から、卒業制作に自画像を描く伝統があります。岩田のこの作品も、一見すると木立や階段の先にある建物の入口、雲、花など芸大時代のモチーフが配されていかにも卒業制作らしいのですが、「勉強の集大成」に止まらないドラマを感じさせる作品でもあります。《ナルシス》は、昭和30年(1955年)の「サロン・ド・プランタン賞」(芸大美術学部教授会が推薦しその年の卒業制作優秀作品に授与される)を受賞しています。
しかしながら岩田の当初の卒業制作構想は、別の形であったのではないかと思われます。《自画像》(1951~57年・画集No.3)あるいは《白い帽子の自画像》(1953年・画集No.7)こそが、当初の構想に沿った作品なのではないかと思われるのです。何より自身の顔の角度や表情が《自画像(中村先生アトリエにて)》(1949年・画集No.6)に通じており、頭の被り物、スモック様の上着はレンブラントの自画像を思い起こすもの、手前のカーテンはオランダ絵画の趣向で、学生時代の岩田の指向の一端を反映しています。少々風変わりかもしれませんが、観るものと視線が合う自画像のパターンを踏襲しています。
それに引替え《ナルシス》は、何の予備知識もなしにこれを観れば自画像とは気づかないのではないかというくらいの作品です。やや半身に腰掛けた全身像、視線は画面内の左下に向きうつむきがちで、タイトルにも「自画像」の語を入れず、ただ「ナルシス」。そしてこのポーズの自画像は、床に坐った姿になり、《赤いベストの自画像》(1967年・画集No.14)、
《青いとんがり帽の自画像》(1960年・画集No.15)、
《赤いとんがり帽の自画像》(画集不掲載)と描き継がれます。
岩田は卒業制作の自画像を、なぜ当初の構想から変更したのでしょうか。岩田の《ナルシス》は、水面を見てはいても、そこに引き込まれるでもなく、ただ視線を落としています。ナルシスは自己を盲愛する者ではなく、自己以外に愛するものを見出せない不幸を背負った者であることに思い至る転機があったということかもしれません。
《ナルシス》 1955年
《自画像》 1951~57年