透明な絵具を、膜をつくるように塗り重ね、深みと密度そして光沢のある美しい画肌の強固な画面をつくる方法(グラッシまたはグレージング)は、15世紀ころにネーデルラントで確立されたといわれる伝統的油彩画の基本的技法です。たとえて言えば、淡い色の透明なセロハンを重ねるような技法です。
岩田もこの絵の具の使い方について、次のように言います。
「筆は貂(セーブル)を使って…自分のなっとくの行く感触のパートをつくります。そしてグラッシを使いますが、純粋な透明技法ではなく絵の具を不透明にも使います。」
ー 飯沢匡との対談における岩田の発言 「みづゑ1971年1月号」所収
岩田はフェルメールの《牛乳を注ぐ女》、《デルフト眺望》などを実際に見て、その塗りの厚みの使い分けに感心しています(
人物点描~1957年暮のオランダ旅行(その3) 参照)。つまり、光の強く当たるハイライト部分には白色系を盛り上げ、陰の部分は下塗りの色を活かすか薄い塗りに止めるというフェルメールの絵画的工夫を学び、自らのものとしていったのです。
一方で岩田は、
「よくグラッシをかけすぎて失敗することがある」とも言っています。ヴァルールがあっている状態でグラッシをかけると、当然のことながらヴァルールは壊れてしまいます。(「ヴァルール」については、
人物点描~1957年暮のオランダ旅行(その3) 参照)また、グラッシをかけていくと構図などの変更もきかなくなります。岩田の作品を斜め下方向から透かしてみると、彩色層の凹凸にその技法上の工夫のあとがわかるようです。岩田もまたルーブルに通い、先人たちの工夫を読み取っていたのでしょう。
ファブリティウスは、フェルメールにとりわけ絵画の技術的側面で大きな影響を与えたといわれます。また、トロンプルイユ作品を制作したとされ、この《ゴシキヒワ》にもその片鱗をうかがうことができます。
カレル・ファブリティウス 《ゴシキヒワ》 1654年
油彩/板 34cm×23cm マウリッツハイス美術館
「アピュイ・マン」、「下塗りと下描き」、「溶剤と絵具層形成」、「グラッシ」と岩田の油彩画技法を見てきましたが、これらはあくまで「自身が語っている、1970年前後に用いていた技法」です。年代とともに、技法の変化・進展があるのは当然のことであり、その点については、個々の作品に即して見ていかなければならないことは言うまでもありません。