岩田榮吉の人物と経歴
人物点描
1957年暮のオランダ旅行
(その2 Rijks=アムステルダム国立美術館)
1957年12月27日7時35分、岩田は同じ留学生の小木貞孝(=加賀乙彦)・美濱和宏両氏(なぜか岩崎力氏は同行していません)とともにパリ北駅発の列車に乗り込み、13時13分、アムステルダムに到着。その足で「レンブラントの家」を見た後、市の中央のホテルに泊まります。
そして翌12月28日、勇躍アムステルダム国立美術館(Rijksmuseum)に向かいます。同館は2003年から大改修(2013年再オープン)によりフェルメール作品の展示室も変わっていますが、岩田は、当時の展示室(2階221a)の見取り図とともに、初めて実際にフェルメールの作品を見た感想を日記に書き連ねています。
「朝Musée Rijks にてVermeerの「ミルクメイド」に面会。入口にて貧血起こしそうになる! 六年間の恋人に遭遇する。
生々しい現実。レアリテの印象。深い空間、Vermeerこそ、valeurの正確な事。そして強く、コントラストが自然のまゝの強さなり。色調の美しい事世界一。
隣のHoochとの差がいかにもよくわかる。…」
-岩田の日記より 原文のまま
岩田の興奮ぶりがわかります。ちなみに岩田はその日記において、フェルメールの作品の《牛乳を注ぐ女》を「ミルクメイド」と、《青衣の女》を「lettre d’amour」と、《恋文》を「lettre d’amour(入口の画いてある方)」と、《小路》を「ruelle de Delft」と書いています。その「ミルクメイド」の前をこの日の午前中いっぱい、岩田は行ったり来たりしていたようです。その目は、実作する者らしく、透明・不透明の絵の具をどう使い分けているか、筆とナイフの使い分け、輪郭部の処理、複製との色の違い…などに向けられ、観察結果を克明に書き残しています。
ヨハネス・フェルメール 《牛乳を注ぐ女》 1659年頃
油彩/キャンバス 46cm×41cm RIJKSアムステルダム国立美術館
岩田によるアムステルダム国立美術館のフェルメール作品展示(日記より写し)