岩田榮吉の人物と経歴
人物点描
1958年のイタリア旅行(その2)
イタリア旅行中の岩田日記に登場する作家・作品のうち、とくに記載の際立ったものを見てみます。まず、かねて憧れていた2点。
アントニオ・デル・ポライウォーロ 《婦人の肖像》 1475年頃
油彩/板 46cm×33cm ポルディ・ペッツオーリ美術館
「永年期待した Antonio Pollaiuolo 先ず、品格の高さ。顔の部分の黄味と、背景の深い青味との完全なharmonie。ごくかすかな顔の中のtoneが微妙なtoneを与えている。
絵具のつきは背景の方がづっとあつい。間に細い線が入っている(ふじたの如き?)。髪の毛の微妙なempatement並びに衣服のempâtement(白い色の部分が点々となって盛り上げになっている)。」
ー岩田の日記より
フラ・アンジェリコ 《受胎告知》 1437~46年頃
フレスコ 230cm×321cm サン・マルコ美術館
「…せまい廻廊を上り、annonciation(受胎告知:引用者注)を見に階段を昇る。階段の途中にてすでにその全貌が見えはじめる。このannonciationは、最初静かなたゆたうような幻わくがはじまり、次第に天国に導かれる。マリアの顔は不思議なおどろきをたたえ、聖鐘の音がまるで音のない世界になりひびくのを聞くが如し。そのマリアの顔が天使の顔とつながり合い※、羽根にみちびかれ、鐘の音はあのcouvent(修道院:引用者注)の丸い天井に響きこだまとなり、静かになり渡る。 全く絵のよさとは不思議なもの。此のcouventの庭にはきっと聖なる花が咲きみだれるだろう。日暮になると又鐘の音がしんら万象をひそかに揺り動かす。もうこうなるとton(=英tone:引用者注)がどうの奥行がどうのと云うものではあるまい。」
「※(人物の)顔の中の陰影は極く弱くつけてある点、即ち、顔の中の明部と暗部とのtonの差…が非常にうまく出来ている。」
ー岩田の日記より
そして、今回の旅行のテーマに関わるヒントを得たのが次の2点であったようです。
アンドレーア・デル・サルト 《自画像》 1528~30年
フレスコ/瓦 47cm×34cm ウフィッツィ美術館
ウフィッツィ美術館には17世紀から続く「自画像コレクション」があります。「自画像こそが芸術家のスタイル、芸術観、世界観、自意識すべてを内包している」との考えに基づき、芸術家の総カタログのようなコレクションにしたいとの想いから創始されたといわれます。岩田はこれを実に丹念に見ており、図解入りでそれぞれ注目される点をメモにしていますが、中でもこのアンドレーア・デル・サルト《自画像》については、3点の図解でton使い分けなどの観察結果を詳細に記したうえ、
「久しぶりに涙が出る」と書き添えています。
そして次の1点、ジョヴァンニ・ベリーニの《ピエタ(墓の中の死せるキリスト)》こそ、この2回にわたるイタリア旅行で、岩田がもっとも考えさせられた作品でした。
「形の厳しさは例の如く。個々の、顔、手、胸、殊に手の描写としてのきびしさが、そのまま構成としての厳密さに直結しているのが、全くこの人の強味である。」
ー岩田の日記より
ジョヴァンニ・ベリーニ 《ピエタ(墓の中の死せるキリスト)》 1460年
テンペラ/板 48cm×38cm ポルディ=ペッツォーリ美術館
岩田によれば、いわゆる北方絵画の細密描写は、ベリーニなどのイタリア絵画の細密描写と違います。どう違うかといえば、メムリンク、デューラー、ファン・エイクなどでは
「…部分(のみ)としての興味、愛着、又はその対象自身への掘りさげ方(又はそのままその対象)が自分自身の内面といつのまにか一致し、一つの細密描写そのものが一つの方法論(完全に独立した)となって、見るものをその描写と云う行為の中にひきづり込んで行くのが通例…」(岩田の日記より) なのです。
これはもう生き方の問題に近くなって、描き方の問題としては行き詰ってしまいます。結局、ファン・エイク流の細密描写は、ジョヴァンニ・ベリーニのようにイタリア絵画の独壇場である造形要素になるか、あるいは、レンブラントのように内心の心情を訴える方向に結びつくか、いずれかに進まざるを得ません。それではフェルメールはどうなのか。
「ちなみにVermeerに於いては、部分に於ける細密描写はBelliniの様な完全にplastiqueな要素に還元して考える可きのものではなく、又心情の吐露と直結しているものでもない。Vermeerの場合は光の描写とRealiteの付加…」(岩田の日記より) によって独自の方向を見出した…と岩田は見ています。