人物点描
1976年のカンディンスキー展
ワシリー・カンディンスキー(1866~1944年)は、周知のとおり20世紀美術最大の先駆者の一人に数えられ、抽象絵画作品で知られる存在です。日本においても既に大正初期の1910年代には、その版画の展示が行われ、またその芸術論稿は紹介されていましたが、まとまった形で絵画実作品が展示されたのは、1976年の西武美術館(東京・池袋、1999年閉館
)における「カンディンスキー展」が初めてのことでした。
16世紀オランダ絵画に傾倒し、細密描写にこだわった岩田が、翻訳家の仕事の一環とはいえカンディンスキー展の実現に積極的に貢献したといえば、意外の感をもたれるかもしれません。なにしろ、岩田自身が翻訳した同展図録の冒頭論文(ジャック・ラセーニュ『先駆者カンディンスキー』)にもあるとおり、
「事物の外相の再現から絵画を解放しようという運動にあって決定的な役割をになったのが、カンディンスキー…」であり、
「カンディンスキーの芸術は実在の何物をも復元しない」のですから。
岩田に、画家として同時代の動向に無関心でいられなかったということ以上のものがあったとすれば、そのヒントは次のカンディンスキー夫人の言葉にあると言えるでしょう。
「カンディンスキーは、生徒たちに対し、“抽象絵画とは最も難しい芸術である。すなわち、素描を完全にマスターし、すぐれた構図感覚をもち、同じことを繰り返して行わないために詩人であることが必要だ”といいました。というのは、繰り返しをすることによって芸術は装飾的となり、生気を失うからです。このためにこそ、彼は生徒達に“もしこれらの三つの要素が不足してきたならば自然に帰りなさい。自然は新しい主題を君達に与えるでしょう”と教えたのです。」
ーニーナ・カンディンスキー『夫カンディンスキーのこと』1976年カンディンスキー展図録所収
確かに、この図録の表紙となった《空の青》を例にとれば、その抒情的な青には感情の輝くみずみずしさがあふれ、心をうつものがあります。理性による了解事項がなくとも、色自体、線自体に人間共通の感情を呼び覚ますものがあるのかもしれません。とはいっても、ここに描かれた形に直観的に反応できる人がどれほどいるでしょうか…その意図は理解しながらも、岩田自身はやはりこういうアプローチを採りませんでした。
1976年 西武美術館(東京・池袋) 「カンディンスキー展」図録
ワシリー・カンディンスキー 《空の青》 1940年
油彩/キャンバス 100cm×73cm ポンピドゥー・センター