岩田榮吉の人物と経歴
人物点描
<パントル・ド・ラ・レアリテ>と山口健智
1963年、岩田がアンリ・カディウに見出され、彼の率いるグループ「パントル・ド・ラ・レアリテ」への参加を促されていたころ(
人物点描~<パントル・ド・ラ・レアリテ>アンリ・カディウとの出会い 参照)、もう一人の日本人画家も岩田と同じような申し出を受けていました。北海道旭川市出身の山口健智(1921年~1982年)です。
山口は岩田より8歳年上で、パリに来たのも岩田より2年早い1955年でした。生来頑健ではなかったようで、旧制中学中退後、大阪・京都そしてパリに来てからはグラン・ショミエールなどで絵を学んでいますが、ほとんど独学と言っていいようです。ルーブル美術館に通いつめ、古典絵画の模写によって伝統的油彩画の技法を徹底して追求しています。
山口がルーブルで模写した絵画の中に、フェルメール《レースを編む女》があります。模写の年代や取組み順を考えあわせると、ちょうど岩田がオランダ旅行に出かけフェルメールに感激していたころ、山口はルーブルでイーゼルを立てフェルメールと向き合っていたのかもしれません。
山口も岩田と同じく終生パリで制作しました。岩田に宛てた1980年9月の個展案内に以下の添え書きがあります。
「
岩田榮吉様 9月13日 その後お元気ですか。近々南條さんのギャラリーで個展をすることになりました。水彩・淡彩デッサンなどを主としたものです。若し御都合がついたらお逢いしたいですね。画廊には時々出る位にして、やっぱり制作時間が惜しいですから…山口健智」
ともに決して積極的な社交家ではなかった二人の交流が、淡々としたものであっただろうことは想像に難くありませんが、互いに通じるものを感じていたことも間違いないようです。
山口健智 岩田宛個展案内状(二つ折り表面)
山口健智 岩田宛個展案内状(二つ折り中面)