人物点描
~畏友・渡邉守章との交流(その2 アルルカンとの出会い)
岩田は渡邉守章(1933-2021、仏文学者・舞台演出家)から多くを学びましたが、もっとも痕跡が明らかなことは、作品に度々登場する道化師「アルルカン」に関する事柄でしょう。「アルルカン」はイタリア発祥の古い即興演劇「コメディア・デラルテ」の主要キャラクターですが(
作品点描~道化師たち(その1 アルルカンとポリシネル) 参照)、渡邉の著作「演劇とは何か」には岩田に与えたヒントにあたる記述がいくつも見られます。
まず、16世紀中頃成立の「コメディア・デラルテ」は、近代演劇以前のものとみられていたにもかかわらず、その命脈は絶えることなく、近年とみに見直しの機運さえ高まっているということ、それ自体です。伝統ある様式と技法をその発祥に遡って理解し、現代的にとらえ直して発展性ある表現を作り上げていくことは、まさに岩田が画家として思い描く生き方に重なり合います。
それでは、どう見直されているのでしょうか。「コメディア・デラルテ」では演じられる登場人物の体形・性癖・服装・生業などが類型的に決まっており、演じる俳優も仮面をつけるなど、個別性の認識がないとみられてきました。しかし、今日でも、人間が実人生において演じている<役割>は、各人の個別性にもかかわらずいくつかの類型に分けられ、そのなかでこそ独自の存在感も発揮されるのです。
つまり、例えば家庭では「父」であり、会社では「総務係長」であり、夕方からのクラス会では「幹事」であっても、「私」はほかの誰でもない「父」に「総務係長」に「幹事」になることができるのです。「コメディア・デラルテ」の登場人物は誰が演じようとも同じ類型の役柄、状況の設定も類型的ですが、それゆえかえって時代を反映する多様な表現の可能性につながります。
アルルカンは道化師ですが、「ちゃっかり図々しいところはあるけれど誰もが心を許してしまうムードメーカー」ならどこにも居そうな存在です。岩田のアルルカンは、原型に近い姿のもの(画集No.30)もありますが、多くはアルルカンに扮した姿(の人形)であり、つまりはアルルカンになり切ってはいません。どうして、また、どのように「なり切って」いないのか、画布の上の舞台では、岩田の演出によって、細やかで含蓄に富む一幕が繰り広げられます。
比較的原型に近い姿のアルルカン
《アルルカン》(画集No.30 部分)
アルルカンに扮した人形
《アルルカン》(画集No.67 部分)