人物点描
画家の生き方(その2)
画家は「
プレタポルテのメーカーとは違う」と岩田は言います。「
絵でプロになるという事」は、「
値段はいくら時間をかけても同じだから適当に仕事をし、必要量を画商に渡し、オカネを手に入れる事、市場の需要量を満足させる事」ではないのです。「
絵でプロになるという事は、『よい絵を描く人』である事がたったひとつの条件」なのです。自身のこれまでを振り返って、それは確かなことなのです。
「
私は、慶應の工学部で、(好きな絵が自由にかけずに)大して興味のない実験をしていて、周囲にエンジニアリングに大変興味をもって勉強している友人達を見て、何年間かその人達がうらやましく、僕も<好きな事>だけをして幸福になりたいと願っていました。その後芸大に入る事について、(周囲の支持・励ましを得て)天にものぼる様な気持がしました。そして、エンジニアとして普通のサラリーマンの生活を送る事(及びそれに伴う経済的な安定、その他のサラリーマンとしての恩典)を完全に断念しました。たとえオカネの点でどのように苦しい事があっても、<絵が自分のペースで描ける事>を私の生涯の第一目的とし、この目的と矛盾するところのあらゆるものを排除して(これには名誉、お金、地位すべてが含まれます)、フランスに来てから生活して来ました。そして私は、世界中で一番幸福な人間だと思い続けていましたし、今でもそう思っています。朝、頭のすっきりしている時に絵の事を考える気持は、何事にも代えられない幸福感です。」
「
絵の値段が高くなる事、よい批評をとって画壇にしっかりした地位を築く事、芸大教授となって誇らしい気持ちになれる事、これらは皆ばかに出来ませんし、私自身ばかにもしていません。しかしこれらのうちの一つでも<静かな気持で絵を画ける事>を邪魔する事になれば、上記のいろいろな名誉を得る事をあきらめるより方法はありません。」
「
静かな気持で、時間を充分かけて仕事をし、それによってよい絵が出来る。時間をかける事は、よい絵が出来るための絶対必要条件です。時間をかけるだけではよい絵は出来ませんが、かけなければ絵がだめになる事は(私の場合)明白な事実です。」
(1972年10月26日付姉宛書簡から)
《イーゼルの前の自画像》 1969年