人物点描
~第1回個展(その1 躊躇)
1969年8月、ヴァカンス中に一時帰国しようかと考えていた岩田に、「来秋、日本橋三越で第1回個展開催」の打診が届きます。姉夫妻の援護によるものでした。しかし岩田は、感謝しつつも、「
すぐに応諾できない理由がある」として慎重な態度をとります。
理由の第一は、出品候補作品の不足です。主催者希望の10号以下のサイズの作品で出来の良いものは売れてしまって手許にほとんどなく、手許にある自信作は15~30号であるうえに、売りたくないものが多い…という状況だったのです。15~30号では売値も高くなってしまうので、主催者が望まないのももっともなことです。
第二に、まだまだ「ハク」が足りないことです。招待制のコンパレゾン展、テールラティーヌ展には既に6年前から例年出品し、会員制のナシオナル展・アンデパンダン展にも並行して毎年出品していたのですが、まだ自分には大きな展覧会への出品歴が足りないと考えていたのです。ちなみに、日本で著名なサロン・ドートンヌはこの頃開催見送りが続いていました。
以上から、「
何が何でも来年秋にやるとすれば、10号以下の新作を揃え、完成作の20号・30号も加えれば何とかなるかもしれないが、時期尚早」、「
父の元気なうちにやりたい気持ちはあるが、あせりは禁物」…というのが岩田の本心でした。以前に勤務先の西武百貨店から同じく個展の話があり、同じ説明をしていたようでもあります。
アンドレ・ヴェイル画廊前にて
アンドレ・ヴェイル画廊は数あるパリの画廊の中でも「一流中の一流」。勤務していた西武百貨店パリ事務所内に掛けていた岩田の絵が画廊主の目に留まり、この頃付き合いが始まっていますが、それでもなお、日本での個展開催には慎重だったようです。