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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描
  ソードルヴィル城



岩田がその知遇を得たころ、長谷川潔(1891~1980)は毎夏のようにパリを離れ、郊外のソードルヴィルに一家で滞在するのを常としていました。

ソードルヴィルには、長谷川が古くから懇意にしていた斎藤豊作(1880~1951)の未亡人カミーユ斎藤(1883~1969)の所有する「ソードルヴィル城」がありました。大の美術好き日本好きであった彼女は、亡夫の友人家族やそのまた友人たちを招いて共に過ごすことを楽しみにしていたのです。

ちなみに、斎藤豊作は埼玉県出身・東京美術学校卒、「二科会」の創立にも関わった画家ですが、来日していた女流画家カミーユ・サランソンと結婚しフランスに渡った後は、長谷川同様生涯日本へ戻ることなく、自称「半農半画人」として過ごす一方、パリを中心に美校卒業生の人脈の要のような役割を果たしました。大原孫三郎からの依頼を受け、大原美術館設立のための作品買い付けにも一役買っています。

岩田は、長谷川の紹介・推薦を受けたカミーユ夫人から招待のはがきを貰い、渡仏後1年もたたない1958年6月29日から30日にかけて、初めてソードルヴィル城を訪れています。パリ中心部から南へバスで1時間ほどのエトレシー村まで行けば、ソードルヴィル城はすぐ近くです。敷地およそ19ha(約5万7000坪)、3階建て30数室の建屋に、池のある菜園、果樹園、庭園、林とブドウ畑等々があり、もともとは17世紀に建てられたという館でした。

この日ソードルヴィル城に集まったのは、長谷川一家(潔、ミシュリーヌ夫人、子息ベルナール)、梅原龍三郎(1888~1986)一家(龍三郎、艶子夫人、令嬢嶋田紅良)、岩田と、斎藤一家(カミーユ夫人、子息タモツ、令嬢ミツ+愛犬キミ)でした。またここには、岡鹿之助(1898~1978)、村山密(1918~2013)などの日本人画家グループも訪れています。交際面でも長谷川の後押しは有難いものでした。


岩田によるソードルヴィル城スケッチ
岩田によるソードルヴィル城スケッチ


ソードルヴィル城にて 1958年6月29日
ソードルヴィル城にて 1958年6月29日
左から梅原龍三郎、長谷川潔、岩田



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