人物点描
「マドレーヌ」高田壮一郎との縁
マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』は、周知のとおり、主人公が紅茶に浸したフランス菓子「マドレーヌ」を口にしたその時、思いがけずよみがえった過去の記憶から始まります。岩田はこの小説あるいはプルーストの示唆するところから制作上の大きなヒントを得ていますが、「マドレーヌ」にも少なからぬ縁がありました。
「マドレーヌ」が日本に伝わった経緯については、明治の初めころ横浜で風月堂の職人が教わったという説や、大正末期にコロンバンの創業者・門倉國輝がフランスから持ち帰ったという説など、諸説あるようです。しかし、ご当地フランスと全く同じ味と型のものを初めて日本で販売したのは、岩田と同時期にフランスへ留学し同じ日本館に滞在したパティシエ高田壮一郎でした。
高田は岩田より1歳年下ですが、渡仏したのは岩田より1年早い1956年、二人は渡仏以前同じフランス人の先生についてフランス語を勉強した旧知の仲でした。岩田は、1958年には共にイタリアへ旅行したり、高田の父親である画家・高田力蔵(1900~1992)から長谷川潔への紹介を受けるなどの厚誼を得ています。
高田は、パリの老舗菓子店「Cadot」で修業の後、帰国後1960年に東京駒込にフランス菓子店「東京カド」を創業し、「マドレーヌ」を看板商品として各地に支店を出し、川端康成などの文人にも愛されたうえ、多数の後進を育てました。残念ながら「東京カド」は2017年8月に閉店しましたが、ここから巣立った多くの人材が多く活躍していると聞きます。
カドのマドレーヌに添えられていたカード
表面(左) 裏面(右)
(上の二つ折りカード見開きの文)
このマドレーヌがなぜ貝殻の形で作られるのか、又なぜマドレーヌと呼ばれるようになったのかについては、いろいろな説があって、つまびらかではありませんが、パリより250km程、真東にあるコメルシー地方で昔から昔からマドレーヌが作られていて、その作り方や配合はコメルシーの町では長く秘法とされ、町特有の特製菓子とされていました。しかし18世紀にいたってヴェルサイユを経てパリに入り現在の流行のもととなったといわれています。
マドレーヌの作り方も現在では種々ありますが、極く特殊なものをのぞいては必ずこの貝殻の型を使って焼かなければなりません。
当社では、フランスよりこのマドレーヌの焼型を取寄せ、特に精選された小麦粉、バター、卵、砂糖を、又、フランスより輸入したオレンヂの花の香料を使用して、フランスで作られているものと全く同じ味と型のものを作っております。その洗練された風味にはきっと御満足いただけるものと確信いたしております。
マドレーヌは、そのまま召上っていただくのは勿論ですが、紅茶に浸して召上っていただくと更に一層しゃれた味を味わっていただけます。