人物点描
翻訳家岩田とフランス語
岩田は、東京芸大入学時からフランス語の習得にも熱心に取組みました。外国語学校「アテネフランセ」に5年間通うとともに、在京のフランス人ジョルジーヌ・ヴィニョー女史について個人教授も受けています。渡仏し生涯をパリで暮らす自らをこの時点で予見していたとは思われませんが、慶応大学工学部を卒業した上で東京芸大に進むにあたり、油画を学ぶこととほとんど同じ重さでフランス語の習得を考えていたことは確かでしょう。
その成果は、渡仏後の、17世紀絵画技法に関する文献研究、H・カディウをはじめとする現地画家たちとの交流、オブジェの品々のコレクション収集などに活かされたと思われます。そしてさらに現地の多様な感性をもつ人々との接点を得ることになったのは、日本の百貨店で初めてパリに進出した西武百貨店パリ事務所所属の翻訳家としての活動においてでした。
岩田は渡仏後、生活を支える必要もあってパリ三菱商事に翻訳の職を得ますが、西武百貨店のパリ事務所オープンに際してスカウトされ、1961年から1981年まで20年間、各種の提携に関る通訳・翻訳にあたりました。西武百貨店はエルメス、ルイ・ヴィトン、イヴ・サンローランなどの高級ファッションブランドをいち早く日本に導入しましたが、岩田はその現場にあって様々な橋渡しを行っています。また逆に、日本人デザイナーなどのパリ進出にも関りました。その中で、三宅一生はかつて東京で同じヴィニョー女史から個人教授を受けた間柄でした。
外国に学び、あるいは暮らしても、現地の人々と深く接することなく、自分にわかるところ都合のよいところを掬い上げているばかりではなかなかその地に根付く文化の本質に迫ることはできない…本格的に画に取組み始めてすぐ、岩田は気がついていたのかもしれません。
1965年頃 西武百貨店パリ事務所のメンバー
(左端は所長で堤清二氏妹の堤邦子氏、その後ろが岩田)