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岩田榮吉の作品

 作品点描
  鏡の利用(その1)


自画像の多くは鏡に映る自分を描いています。そのまま描けば左右が逆になります。ゴッホの《包帯をしてパイプをくわえた自画像》は、左右逆のままの事例として知られています。ところで、岩田の《イーゼルの前の自画像》(人物点描~画家の生き方その2 参照)では、右利きの岩田が画中でも右手に絵筆を、左手にパレットを持っています。左右が逆になっていません。鏡を使っていないのでしょうか、それとも見たままを描いていないのでしょうか。

自分の正像を描くには、いくつかの方法が考えられます。(1)写真を見て描く、(2)逆像の下描きを裏返して転写、(3)合わせ鏡を見て描く、(4)逆像を頭の中で反転させて描く、(5)それとわかる箇所だけ修正する、等々。岩田の場合、(1)(2)の形跡は見られません。(3)はやってみるとわかりますが、2枚の合わせ鏡に対して自分の位置のとり方が微妙で、実行困難。(4)も特異な才が必要。(5)は可能性があるかもしれません。

正逆を見分けるヒントを岩田の写真に探してみると、口元右下に黒子(ほくろ)があります。しかしこれは小さなものでもあり、おそらく無視されているでしょう。大きなヒントは頭髪の分け方です。若いころから晩年まで、岩田は左分け目で右へ流しています。ところが《イーゼルの前の自画像》画中の岩田は、右分け目で左へ流しています。絵筆・パレットを見ると正像のようですが、頭髪を見ると逆像になっているのです。

少し別の面から考えてみます。自分の全身を描く場合、大きめの鏡をどこに置くでしょうか。イーゼルと正面で相対するとすれば、右利きの人なら自分の左斜め前に置くのが自然ではないでしょうか。右斜め前に置くと、絵筆を持つ自分の右手が邪魔になるのです。《イーゼルの前の自画像》の岩田はイーゼルの右方に視線を向けています。やはり岩田は鏡を見てごく自然に逆像を描き、絵筆とパレットを持つ手だけを「入替えた」ようです。


ヴィンセント・ファン・ゴッホ 《包帯をしてパイプをくわえた自画像》 1889年 油彩/キャンバス 51cm×45cm 個人蔵
ヴィンセント・ファン・ゴッホ 《包帯をしてパイプをくわえた自画像》 1889年
油彩/キャンバス 51cm×45cm 個人蔵

有名な耳切事件の後の作ですが、実際に切ったのは左耳、画中では右耳に包帯の姿です。また、ボタンの掛け方からみて、コート(ジャケット?)が「左前」になっています。これらのことから、ゴッホは鏡に映ったそのまま(逆像)を描いたとみられています。


画集掲載の写真
画集掲載の写真

《イーゼルの前の自画像》 1969年 (部分)
《イーゼルの前の自画像》 1969年 (部分)


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