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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描
  岩田の“Mai 68”(その2 シテ・フル―リとアンリ・カディウ)



モンパルナスタワーは、59階建て高さ210mとパリでもっとも高層の建築物として知られています。Mai 68 の前年1967年の「規制緩和」により1972年に完成していますが、景観を大きく損なうとの批判を受けて1977年には規制が復活し、以後の高層建築は不可能になりました。景観論争の背景に Mai 68 があることはもちろんですが、岩田のごく近くの関係者にも、この時期、同様の「再開発」に伴う「地上げ」問題が起こります。

岩田は写実的な細密描写を志向する画家グループ「パントル・ド・ラ・レアリテ」に参画していました(人物点描~〈パントル・ド・ラ・レアリテ〉アンリ・カディウとの出会い 参照)。問題の舞台は、そのリーダーであるアンリ・カディウが本拠としていたパリ13区、モンパルナスにも近い「シテ・フルーリ」と呼ばれる一帯です。ここは1880年前後に建てられた約30棟の戸建てアトリエが集積し、かつてはゴーギャン、モディリアーニ、ピエール・ロワなども居住制作したところですが、高層ビル建築計画が持ち上がったのです。

シテ・フルーリのアトリエ群のほとんどは、1878年パリ万博のフードパビリオンを移築したスイスの山小屋風で、外部から見える褐色の柱や梁の間に白壁が映え、その名のとおり各戸の花の庭をぬって私道が通る美しいたたずまいの街でした。岩田同様直接的な政治行動には一線を置く住民たちも、高層ビル建築計画に反対して立ち上がりましたが、そのリーダー格として意向をまとめ、関係先と交渉し、裁判をおこして戦ったのがカディウ氏でした。

学生たちが問題提起し多くの市民と知識人を巻き込んだ Mai 68 にモンパルナスタワーの是非論争の影響もあって、カディウ氏とシテ・フルーリ住民たちの戦いは実を結び、1971年には開発計画が不認可となります。ちょうどその年、岩田は出張で訪れた恩師伊藤廉先生をパリに迎え、カディウ夫妻の快諾を得て同氏宅を先生の滞在先に紹介し(人物点描~伊藤廉先生 参照)、双方から喜ばれています。



カディウ夫妻と



シテ・フル―リの一角にて



シテ・フル―リ保存への貢献を顕彰した「アンリ・カディウ・スクワール」

「アンリ・カディウ・スクワール」はアラゴ通りに面し、シテ・フル―リに隣接する小緑地公園で、由緒説明、所縁のオランダ人彫刻家セザール・ドメラの彫刻作品などが置かれている。


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