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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描
  アテネ・フランセとヌエット先生


岩田は、東京藝大入学後間もない1952年、語学学校「アテネ・フランセ」にも入学し、絵画の勉強と並行してフランス語習得に本格的に取組みます(人物点描~翻訳家岩田とフランス語 参照)。岩田遺品の中にある同校の卒業証書には、試験委員「N・ヌエット」の名があり、署名もあります。同校の講師陣にはキリスト教関係者のほか多彩な人物がいましたが、ヌエット先生は中でも異色の存在であったようです。


岩田のアテネ・フランセ卒業証書
岩田のアテネ・フランセ卒業証書
(Diplôme de fin d’études)
1957年6月29日付



ノエル・ヌエット(本名:フレデリック=アンジェス・ヌエット 1885-1969)は、ブルターニュ出身で若くして一定の評価を得ていた詩人でしたが、第1次大戦に従軍の後、パリを訪れた歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻や仏文学者の内藤濯と交流した縁から41歳で来日し、旧制静岡高校、東京の陸軍士官学校、東京外国語学校(現・東京外国語大学)などでフランス語教師を務めました。 彼はその傍ら、石井柏亭に絵を学び、昭和初期東京の風景スケッチを多数残しています。後にそのスケッチの主要作は木版画化され、1936年「東京風景」24点シリーズとなって好評を博しましたが、第2次大戦中も日本にとどまったため、強制収容されるなどの苦難の時期を過ごしました。

岩田がアテネ・フランセに入学したころ、ヌエット先生は既に67歳、明仁皇太子(後の平成天皇)のフランス語教師を務め、東京牛込に居宅を構えて論文執筆に取組むなどの活動を行っていました。岩田も、自作の絵の講評を求めたりすることこそなかったでしょうが、自分が絵を描いていること、フランスや日本の絵画についてなど、フランス語の学習を兼ねて先生と接する折に、話題としたことでしょう。ヌエット先生との出会いは、岩田とフランスの距離を一層近くする機会となったのではないでしょうか。


ノエル・ヌエット 《アテネ・フランセ》 1949
ノエル・ヌエット 《アテネ・フランセ》 1949
神田三崎町の校舎が被災していたため、戦後、文化学院の校舎
(神田駿河台・西村伊作設計)を借りて授業が再開されていた。
岩田ものこの校舎で勉強したはず。


ノエル・ヌエット 自画像スケッチ
ノエル・ヌエット 自画像スケッチ


ノエル・ヌエット 《東京風景 お茶の水》
ノエル・ヌエット 《東京風景 お茶の水》 木版/紙
(ペンスケッチの原画を木版化)



(本ページ掲載のノエル・ヌエット作品画像3点の著作権者様連絡先をご存知の方、ご教示をお願いいたします。)


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