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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描
  ~第1回個展(その4 評価)


「重みが違う」かもしれません。発信手段の限られていた岩田の時代、貸会場での個展は関連事務や作業を含めた負担が大きく、と言って「画廊の企画個展」は誰もができるわけではないうえに販売不振時補償を求められることもありました。しかし、有力画廊での個展は、新聞の文化欄等に展評掲載の確率が高く、以後の制作・評価に大きく影響しました。画家にとって個展開催は、今日と比べ格段に「ハードルが高い」状況だったのです。

一旦は躊躇しつつも、1970年、41歳の岩田は日本橋三越美術画廊で国内第1回の個展開催にこぎつけ、折柄「具象絵画復興」の追い風にも恵まれてほぼ完売の成果を得ました。また、同年10月31日付朝日新聞夕刊美術欄には、「克明な描写技術-岩田榮吉 詩的ふんい気かもす」の見出しと、作品《トロンプライユ》(後に《赤いカーテン(トロンプルイユ)》と改題、作品点描~トロンプルイユ(その1) 参照)の写真とともに、展評が掲載されました。

同記事の岩田に関する部分は以下のように結ばれています。「…細かい、密度の高い描写技術を駆使して、岩田は卓上の静物や、人形の世界に挑戦する。こういうと、一見、古風な写実主義のように誤解されるかもしれないが、しかし、この画家は、画面のなかで静物相互の対話の世界を表現し、新しい親しみやすさを生み出している。そして、切れ味のいい清潔な構成によって、一種の詩的なふんい気さえ、かもし出している。

しかしながら、ほぼ同時期に開催され岩田も出品した「第9回国際形象展」について、1970年10月29日付朝日新聞の小川正隆記者は、「…この国際形象展の全体像は、現代美術の拡大した世界から見ると、あまりにも美的であり、のどかであり、一口に言ってしまえば、サロン的なふん囲気が濃厚だ。鬼気せまるような現代への批判の姿勢が欠如しているのが、なんとしても食いたりない。」と評しました。

また、同10月30日付東京新聞夕刊で寺田千墾記者は、「(国際形象展の)…実績を認めないわけではないが、もう形象(具象)とか抽象とかの様式にこだわる必要はなさそう…要は作品の質」として一部の作品を「停滞」、「安易」、「感服しない」と評します。そのうえで岩田の個展に言及し、「…日本人画家のなかではかなり評価していいだろう。ただし、それは技術であって、美術となるためには、光や空間の精密な把握と相まって、画家の精神を反映した秩序ある画面空間を作りあげねばならない。」と指摘しました。

岩田にとって第1回の個展はこうした評価を得た点でも意義あるものでした。直後の時期の対談(聞き手・飯沢匡/「みづゑ」通巻792号1971年1月刊)で岩田は自身の今後の課題について、「モチーフの選択というか、発想というか、つまり発想の緊張度がまだ足りない」、「それには自分の気持を純粋にして、高度なものだけを追求していくようにしてゆかないと…」と受けた批判を前向きに取り込んでいます。


《赤いジャケットの人形》1970年
《赤いジャケットの人形》 1970年


本作は、《赤いカーテン(トロンプルイユ)》(作品点描~トロンプルイユ(その1) 参照)および《薔薇の貴婦人》(作品点描~《薔薇の貴婦人》 参照)とともに、第1回個展出品の代表作として、図録冒頭に掲載されています。


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