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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描
  芸大専任の打診



1973年11月20日、母校東京藝術大学での集中講義その他の所用を終えた岩田は、パリに向け羽田を出発します。一時帰国中、集中講義以外の大きな用件は、かねて打診を受けていた芸大への復帰・専任教員就任への対応でした。すでに内心では謝絶の方向に傾いていた岩田ですが(人物点描~画家の生き方(その2) 参照)、周囲の期待は大きく、何より熱心に勧めてくれたのは芸大入学以前からの恩師寺田春弌先生だったのです。

集中講義の好評もあって、さらに強い要請を受けた岩田はやむなく結論をパリに持帰ることになります。とはいえもはや再考の余地はありません。12月4日、寺田先生宛書簡で辞退の意向を明らかにし、同日姉宛にもその旨報告の手紙を書いています。

<以下、姉宛の報告中にある書簡写しより>
滞日中は、久しぶりにお目にかかれ、色々とお話を伺う事が出来て大変嬉しく存じました。
…芸大の事につきまして先生より私には過分なお申し出を戴き、大変感謝致しております。日本に住んでおれば直ちにおひきうけさせて戴きたいところでございますが、私にとっては未だこちらで勉強したい事が山ほど残っており、日本に永久的に帰る決心がつかず、今日迄御返事が遅れてしまいました。現在、尚、私は自分の仕事が軌道に乗らず、悩む事多く、週に一度はルーヴルその他に通って、時には解決が与えられる様な状態にあります。この様な現況では、今帰国しては大変中途半端な気がしてなりません。

先生より大変お心のこもったお申し出を戴き乍ら、この様に頑固で利己的な気持をもち続ける事をどうぞお許し戴きたくお願い申し上げます。
芸大に入学する前から先生にはお教え頂き、その後数々の御厚情にあづかり乍ら、この様な身勝手な御返事をする事に、お怒りならぬ事を願っております。
先生のもとで、そして、…気心の知れた諸先輩、友人の間で仕事させて頂く事も、私にとって大きな魅力でございました。そして日本で安定した生活をする事にも、大変気を惹かれました。この様な好条件をお断りして迄、私がフランスに居続ける事は、或は間違っているかも知れませんが。

帰路立ち寄ったフランクフルトの人気のないひっそりとした美術館で、ぺトリス・クリストゥスやファンアイクの前で冷水をあびせかけられた様な気持ち、――とても今迄の私の古画についての理解の仕方では不充分だと云う気持も強く、もっともっと日常よい絵を見ながら、それと併行して自分の仕事をしなければならぬ事を痛感致しました。
今冬の寒さはこちらでは大変厳しく、ここ数日、零下数度の寒さで、雪とみぞれが降り続いております。先生の御親切なお気持ちにお答え出来ぬ事を重ねてお詫び申し上げますと共に、お寒さの折から呉々も御健康に留意されます様、そして天井画が立派に完成されます様、お祈り致しております。
寺田春弌先生  12月4日    岩田榮吉拝


ぺトリス・クリストゥス 《聖母子と聖ヒエロニムス、聖フランチェスコ》 1457年
ぺトリス・クリストゥス 《聖母子と聖ヒエロニムス、聖フランチェスコ》 1457年
油彩/板 47cm×45cm シュテーデル美術館/フランクフルト

岩田が日本からの帰途立ち寄ったフランクフルトの美術館で見たぺトリス・クリストゥス(1410年/1420年~1475年/1476年)の作品は本作であると思われます。ちなみに、ぺトリス・クリストゥスは「だまし絵」めいた要素をもつ作品でも(一部の画家やファンの間には)知られています。


ぺトリス・クリストゥス《カルトジオ会修道士の肖像》 1446年
ぺトリス・クリストゥス《カルトジオ会修道士の肖像》 1446年
油彩/板 29cm×22cm メトロポリタン美術館


描かれた額縁の下辺中ほどに停まっているハエは絵筆で描き込まれたものです。(下図参照)

ぺトリス・クリストゥス 《カルトジオ会修道士の肖像》 1446年 (部分)
ぺトリス・クリストゥス 《カルトジオ会修道士の肖像》 1446年 (部分)


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