《ブルターニュの農家》は、習作等を除き、岩田唯一の銅版画作品です。私淑していた銅版画家・長谷川潔の強い勧めを受け、かねてレンブラントやデューラーの版画作品に関心を持っていたこともあって、長谷川の手ほどきにより制作したものと思われます(
人物点描~長谷川潔との交流、
人物点描~銅版画制作用具のメモ 参照)。もちろん、様々な技法に基づいて線の表情と黒の諧調を活かす、銅版画そのものの質感表現にも魅力を感じていたはずです。
《ブルターニュの農家》(画集 参考作品 No.31)
この作品は古い民家をモチーフにしています。実景に基づくものかどうかは不明ですが、類似するワラ葺屋根・土壁の古い田舎家が写っているポストカードが遺品中にあることから推測すると、岩田の他の風景画と同様、自身の写生素描にいくつかのイメージを重ね合わせたものかもしれません。ドライポイント(注)の線を活かした構成ですが、手前の地面の描写は少々あいまいで描き込まれていないようにも見受けられます。
(注)ドライポイント:凹版の一種で、銅板を鋭くとがった錐状の道具で引っ掻くように図柄を描く。線の両側にできる銅の「まくれ」にインクが溜まるため、わずかに陰影の幅のある線となることが特徴。
岩田遺品のポストカード
(反対面に「ヴァンデ県の古い藁屋根農家」の旨の説明書きがある。ヴァンデ県は、いわゆる「ブルターニュ」の最南部で現代のブルターニュ地域圏外であるが、同じケルト文化圏にある。)
この版画作品のエディションナンバー入りプリントは岩田が自身で摺ったと思われる6枚のみで、公表もせず、以降銅版画を手掛けることはありませんでした。理由はいくつか考えられますが、要は「油彩画に専念したい」ということ、つまり、本格的に銅版画に取組むには時間も場所も資金も足りないということでした。そして中でも一番の問題は、銅版画制作プロセス最後の「摺り」にあったのではないでしょうか。
版画制作は原画を描くだけでは完結しません。「彫り・摺り」のプロセスを含めてすべてを自身で行う作家もいますが、独立した専門の彫師・摺師が関わる場合があり、実際に岩田の師・長谷川潔も「彫り」までは自身で行うものの、市場に出す作品はカミーユ・ケネヴィルという一人の摺師に任せていました。しかも、ケネヴィル死後は実質活動を停止したほど「摺り」によって作品の出来が左右されるのです。
機械で複写するのと違って手作業の版画は、たとえ同一人が手掛けても、1枚ずつ仕上りが異なります。岩田は、この実作経験や長谷川の事例を通じて、自身の「摺り」習熟も、また、外部に信頼できる摺師を見出すことも大きな困難があることを悟ったはずです。中途半端に版画制作を続けるよりは、むしろ油彩画においてその作画精神と絵画世界の継承努力を重ねることが長谷川に報いることになる…岩田は版画を断念します。