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岩田榮吉の人物と経歴

 人物点描
  岩田の“Mai 68”(その1 社会運動への関わり)



Mai 68 とは、大学の民主化要求からゼネストにまで発展した、1968年のフランス「5月革命」のこと。岩田の身近に起きた社会的な出来事としては、パリで暮らしたおよそ25年間で最大級のものでした。このとき岩田はパリ生活10年余りの39歳、オルドゥネール通りのアトリエで制作し、前後の年を含めてコンペレゾン展をはじめ多くの展覧会に出品しています(人物点描~パリ・1968年ごろの展覧会事情 参照)。次々とインスピレーションが湧きアイデアが浮かび、創作意欲満々の時期でした。

何を措いても絵を描いていたい岩田でしたが(人物点描~タバコとコーヒーさえあれば 参照)、何が起きていたか知らなかったはずはありません。明治の日本には日露戦争の始まりも終わりも知らずに研究室に籠っていたという学者の話がありますが、岩田の場合は、通勤などで街を歩き(人物点描~オルドゥネール通りから その1~3 参照)、フランス語のざわめきを理解し(人物点描~翻訳家岩田とフランス語 参照)、同僚や知人と会話し、アトリエでもラジオをつけていた…のですから。

さらに岩田は、既にある予感を持っていました。2度にわたる世界大戦を惹起した西欧文明への疑問もそのままに消費社会に埋没していくことへの違和感は、絵画美術の世界にあっても、その風潮や思慮に欠ける多くの追随者たちの振舞いを通じて肌で感じられ増幅されていました(人物点描~戦争がもたらしたもの 参照)。Mai 68 が身近な「ノン」を端緒とするなら、それは起こるべくして起こったものと言えるのです。

しかし…ではなく、だからこそ、岩田は制作に没頭したのではないでしょうか。Mai 68 に積極的な関心を示したサルトルは、自分は観察者にはならない、もっといい時代があるかもしれないがこれがわれわれの時代であり、時代とひとつになるべきである…として直接的な行動参加を呼びかけましたが、岩田は真の創作を通じての参加こそ芸術を志す者の本分ではないかと考えていたはずです。この時期から1970年代、岩田はもっとも多くの作品を残しました。


投石用に剥がした舗石の山に阻まれて歩行者が渋滞する
1968年5月のパリ街頭



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