人物点描
~畏友・渡邉守章との交流(その1 演劇とは何か)
渡邉守章(1933-2021)は、「舞台演出家としても活躍した仏文学者・東京大学名誉教授」と紹介されることが多いのですが、さらに、絵画・写真・映画・彫刻・建築などを人間がその行為を通じて世界観を表現したもの(=表象として現れる文化事象)として分析・考察する「表象文化論」の草分けとしても知られています。岩田は1957年渡仏した後間もなく、同じくフランス政府給費留学生として同宿の渡邉と出会い、親交を重ねます。
渡邊は、以後1959年に帰国するまでの間、岩田とは「
夜毎、たとえばマルローの『フェルメール全作品』をともに開いて交わす議論」を重ね、「
フェルメールの名に集約される…西洋絵画の真の意味での発見を、岩田に負うている」(みづゑ1982年夏号所収「聖変化 あるいは岩田榮吉の世界」)と回顧しています。さらにその後も1966年からの2年余り、また1975年からの1年ほどの間、パリでの交流は絶えることがなかったようです。
渡邉の回顧するマルローの「フェルメール全作品」表紙(上)と
《デルフト眺望》の記載箇所(下)
Marcel Proust / Andre Malraux “Vermeer de Delft – Tout Vermeer de Delft” Librairie Gallimard,Paris, 1952
360×267mmサイズの大型本 図版は別刷貼付 写真はその仮綴本
渡邉にとって岩田が「
現存の画家のうち唯一の友であるばかりでなく、同時代の、ものを創る人間として尊敬できる数少ない存在の一人」(前掲みづゑ所収稿)であったことは、後の渡邊の著作「演劇とは何か」(講談社学術文庫1990年刊)のカバーに岩田の作品が使われたことにもうかがわれます。一方岩田も、演劇をはじめ、文学・映画・建築など広範な文化領域を縦横に語る渡邉から多くを学びました。
岩田は、渡邉と出会う以前から、《
レンブラント風自画像》、《
ナルシス》(いずれも本サイト作品点描 参照)をはじめとして「演じる自己」を題材としていたので、渡邉の演劇論を理解する素地は既にあったとも思われますが、のちに、「
アトリエ全体が舞台装置のよう」(南川三治郎)、「
仕事場自体が劇場」(ジャニンヌ・ヴァルノ/本サイト
人物点描~アトリエその2 参照)と言われるに至る淵源のひとつに、渡邉の存在があったことは間違いありません。
岩田《アルルカン》(画集№67)が採用された表紙(上)と
渡邉守章「演劇とは何か」(講談社学術文庫1990年刊)のカバー(下:裏)