人物点描
画家の生き方(その1)
1970年秋の第1回個展(
人物点描~第1回個展(その1)、
人物点描~第1回個展(その2)、
人物点描~第1回個展(その3) 参照)が成功し、以後国内の展覧会への出品機会も増え、新聞雑誌の批評欄にも取上げられ、国内大学からの招聘打診も受けて、岩田の画業もいよいよ盛期を迎えるかに見えてきました。岩田も素直にこの状態を喜んでいます。
「
一昨年、皆さんのお蔭で個展が出来ました。そしてその時点まで私が完全に断念していた名誉と(大げさな言い方ですが)オカネが入ってきました。その後も、お蔭様で、私がビックリする様な値段で絵が売れたため(しかもこの売れた絵の量は私の全生産量の1/3程度)…オイシイものも食べられ、具合が悪くなると医者に行きレントゲンをかけたりますます好条件で仕事が出来る状態になっています。」
(1972年10月26日付姉宛書簡から)
こうなると岩田の親族、友人をはじめ親しい周囲の人たちの期待も膨らみます。「次の個展は?」、「新作は?」、「絵の値段は上がりましたか?」、「教授になるのは?」…。しかし岩田はパリで一時の「夢」から覚める出来事に遭遇します。
「
日本人作家某氏の個展が華々しく今ペトリデス画廊(以前の藤田ツグジの居た画廊)で開かれ、初日に伺いましたが、華々しい奥さんのイデタチ、高級人種等、見事なものですが、肝心の絵はますますナゲヤリでコマーシャルとなり、外面の華々しさとひきかえて、絵を見て大変淋しいお気の毒な気がしました。(カディウ氏(
人物点描~<パントル・ド・ラ・レアリテ>アンリ・カディウとの出会い 参照)
と会場で出あいましたが、同意見でした。)私は絶対この様になりたくないとつくづく思いました。」
(前掲書簡から)
岩田にとって、外面の華々しさとひきかえに肝心の絵が描けないようでは何にもならないのです。「
絵でプロになるという事は、『よい絵を描く人』である事がたったひとつの条件」なのです。
《自画像》