岩田榮吉の人物と経歴
人物点描
オルドゥネール通りから(その3 マティニョン通り21番へ)
マティニョン通りは、パリ市の中枢8区にあり、大統領官邸(エリゼ宮)や内務省のあるフォーブル・サントノレ界隈と、繁華なシャンゼリゼ大通りを繋ぎ、オークションのクリスティーズのほか、ギャラリーも多い一帯です。その21番地に西武百貨店パリ事務所がありました。岩田は、事務所開設の1961年から自身が病に倒れる1981年まで、専属の翻訳家・通訳としてここに勤務しました。(
人物点描〜翻訳家岩田とフランス語 参照)
西武百貨店グループの総帥だった堤清二(筆名・辻井喬)はパリ進出当時の様子を、回顧録『叙情と闘争』(2012年 中公文庫刊)に次のように書いています。
『
六十年代に入って高度成長を実現するには日本製品の企画、デザインがもうひとつインターナショナルにならなければいけないという主張が…(聞かれる)ようになった。…西武百貨店は後発で、少し前までラーメンを食べる時に寄るだけという意味で“ラーメンデパート”などと言われていたぐらいだったので、(妹)邦子を…駐在部長に任命し、日本の百貨店で仕入部をパリに置いているのは西武だけと主張して、(手始めに)オテル・ド・ヴィルという百貨店(BHV)に乗り込んだ。』(カッコ内は引用者補足)
岩田のアトリエがあるオルドゥネール通り189番からマティニヨン通り21番へは、徒歩とメトロで30分ほど。週3日は、午前中アトリエで制作し、午後から出社、交渉の通訳、その記録書類などの翻訳、そして時には取引先との会食に同席…という勤務内容です。事務所が他の百貨店に先駆けて獲得した有名ファッションブランドの輸入代理権は50社あまり、その大半に関わったうえに、銀行などへの訪問にも同行して相当忙しかったはずですが、人脈と発想の広がりは他の職では得がたいものであったと思われます。(
人物点描〜第1回個展(その1)、
人物点描〜1976年のカンディンスキー展 参照)
西武百貨店パリ事務所で執務する岩田